共にいる、そのために

今日のテーマは、「何かを避けるのではなくて、何かと共にいる」ということです。
「共にいる」ということをプラクティスするには、何かと「向き合う」、「感じる」、そして「そこにいる」ことが鍵になってきます。

「向き合う」と言う時には、自分の五感を使って、直接「今ここにあることを感じる」ことも含まれます。

さらに直接の感覚だけではなくて、私たちの「思考」にも向き合う、ということも含まれます。私たちは過去にある体験をした時、その瞬間に十分向き合えない場合があります。そういう体験が人生のどこかで記憶や夢、イメージとして私たちの思考の中に出てくる可能性があるのです。

そうやってだいぶ後にそのようなことに向き合う場合は、過去の当時は向き合えなかったことに、今向き合うことになります。何らかの意味でその体験が強烈だった場合、痛みや混乱、もしくは気持ち良すぎるという強烈さもあります。おいしい食事でもまずい食事でも、とにかく量が多すぎて自分には消化しきれなかったという体験のことです。

そういう自分にとって強烈な、ボリュームが大きすぎる体験が、その当時あるいは今出てきた時に、まずは感じることでそれと向き合いながらも、今ここにいる、ちゃんとグラウディングできる、というプロセスを踏むことが「消化」になります。

私たちは人として有機体として生きているこの間に、外側から何かを受け取ってそれに反応する、ということを繰り返しています。なので外側の何かに向きあう時、それをまず知覚し、自分の中に何かしら反応が起きるのを感じる、ということがあります。

ここでそれを消化できない場合2つのパターンがあって、まず外側からやってくるもの「それ自体を消化できない」場合と、それによって「自分の中で引き起こされる反応を消化できない」場合があります。なので外側からやってきたものをその新鮮な瞬間に消化できることもあれば、もっと後になってやっとそれが上がってきて消化できるということもあります。

今感じている感覚は、この瞬間に起きていることへの反応もあれば、過去のことに対して起きている反応でもあるのです。そしてそのどちらにしてもそれと共にいる、向き合う、という練習が必要になります。

ークリスティン・プライス(7/24 GAPオンライン・ワンデーより)

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