本当に、一緒にいてくれた時

今日みなさんと探求したいと思っているのは、「一緒にいる、共にいる」という可能性についてですが、それは「外側で見たり聞いたりするものと共にいる」ということと、さらに「内側で感じるものと共にいる」という可能性です。

時には共にいるのが難しいこともあれば、簡単で心地よくいられることもあります。共にいる・向き合うのが難しい、できないという場合は、グラウンディング「ここにいる」ということが鍵になってきます。まず物理的に自分が立っていられる場所を見つける、それを支えにすることが大事になるのです。

でも、まずは自分が共にいやすいものに対して、「心地いいものと共にいるということは、どういう質なのだろうか?」という体験をしてから、難しいほうに移っていきましょう。

では、みなさんに質問をします。問いに対して自分の中で何が上がってくるかを見てみてください。まず自分の体験を思い出してみてほしいのですが、

「誰かが本当に一緒にいてくれている、と感じた体験はあるでしょうか?」

「その時の身体の感覚や、気持ちや感情はどんなものでしたか?」

「その時、自分は相手の人とどんなかかわりを持っていましたか?」

「誰かが本当に一緒にいてくれた」というのは、あくまでもそれぞれの定義になります。例えば「相手がスペースをくれることが、私と共にいてくれることだ」という定義の人がいます。別の人は「私が感じていることを全部わかってくれて、すごく共感を示してくれる時」という人もいます。あくまでも「あなたにとって、誰かが一緒にいてくれるという体験は何ですか?」ということで、一般的な定義ではありません。自分にとっていい体験、役に立った体験、よかったなぁという体験はどんな体験ですか?ということです。

では最後の問いですが、
「そういう風に誰かがいてくれた体験は、自分にどんな影響を及ぼしましたか?
特に自分が自分とどう関わるかに、どんな影響を及ぼしましたか?・・」

ークリスティン・プライス(7/24 GAPオンライン・ワンデーより)